白痴・二流の人/坂口安吾

タイトルの2作品の他、6作品が収録されている短編集。

まずは「白痴」という作品。

終戦間近の日本で文化映画の演出家を職業とする伊沢という若者と、近所の知的障害者との関係が描かれている。

流行を追いかけるのみの自分の職業を“賤業中の賤業”とし、そこに独創的な芸術性を求めようとしない同僚を忌み嫌い、社長にも楯突く。求める理想は素晴らしいと思うが、当然周囲には煙たがられるであろう。著者が好んで描きそうな人物像だ。もとい、著者のファンが求める人物像と言った方が適当か。自分を上手にごまかしながら世間を泳いで凌ぐような周囲に迎合できないのだ。

その伊沢の隣人がまた騒がしい。作品のタイトルでもある白痴の女性、さらにその夫や母親も通常の社会生活を送るには困難を伴うであろう性格の持ち主で、現代では表現を訂正されかねない言葉で彼らの常態が描かれている。

その、白痴の女性が伊沢の家に逃げ込んできた。

まともな言葉が通じない相手との拙い交流から、伊沢は白痴の無垢な精神に心を動かされた。自分の日常の卑小さを思い知った。雇用の不安、給料に縛られる生活と芸術を夢見る葛藤。疲れきった伊沢には白痴の女性がどう映ったのだろうか。

白痴の女性に抱いた情から得た心の充足は、伊沢を疲れさせている日常の一切のものからは得られない尊さがあったに違いない。


続いて「二流の人」。

戦国時代の軍師・黒田官兵衛(のちの如水)の話。

他にも官兵衛を描いた小説があるが、本作品での官兵衛は野心的なギャンブラーとしての印象が強く描かれている。同僚である竹中半兵衛にも忠告されていたようだが、その実力ゆえに秀吉から警戒されまいとする配慮が常にあったようだ。

「如水」と名乗り早めに隠居したのもその配慮から。

水の如しとはいかにも無欲を装った名前だが、本心は違う。
何より隠居後にも戦場や外交の場にたびたび登場する。まだまだ時代に必要とされていたという事情もあっただろうが、自らの野心がどうしても見え隠れしてしまう。

その最たるは関ヶ原。

九州で挙兵し、第三勢力として天下を伺う姿勢を見せるが、その結末の受け入れ方は著者ならではの如水像を見ているようだ。多くの作家が如水に同じ人生を辿らせているが、最後に何を言わせるかでそれぞれの作家の気質が感じ取れるようで面白い。

時代柄、当時の名だたる武将達が登場するが、なかでも秀吉、家康、石田三成、直江兼続あたりの描き方も興味深かった。

その他の収録作品:

  • 木枯の酒倉から
  • 風博士
  • 紫大納言
  • 真珠
  • 風と光と二十の私と
  • 青鬼の褌を洗う女

読了:2007年5月