関ヶ原/司馬遼太郎

戦国時代もいよいよ大詰め。秀吉が制覇した天下を誰が治めるのか。石田三成が率いる西軍と徳川家康が率いる東軍。それら両軍が関ヶ原で天下分け目の合戦を開いた。本書はその合戦にまつわる人間模様を描いた小説だ。

兵数や陣形で有利とされていた西軍が負けた。西軍を率いていた石田三成に足りなかったものは何か?決定的に足りなかったものをひとつ挙げると、それは人心の掌握の甘さであろう。

合戦が近づくにつれ西軍はばらばらになってしまっていた。東軍の家康が内部工作をすすめ、多くの西軍派が内通に応じて東軍に寝返っていたのだ。三成は、豊臣家の恩恵を受けた武将達は豊臣家につくす「べき」だと頭から信じて疑うことがなかった。著者の言葉を借りて言えば「義」の概念で人を理解しようとしていたようだった。しかし、「義」の概念が根付いたのは江戸時代になってからのことであり、戦国時代を生きた武将のほとんどにとっては「利」が最も重要だった。各地の武将達が当時の情勢を考えたとき、「利」をもたらしてくれる見込みのある勢力は豊臣家ではなく徳川家だった。さらに、もともと人の好き嫌いが激しく、人との接し方にも問題があった三成には敵が多かった。無意識に敵を作ってしまう性格だったようだ。西軍の中にも三成に敵意を抱く人間が多かった。本書を読んでいると三成があまりにも可哀相に思えてしまった。家康のしたたかさが浮き掘りにされた、という見方も出来るが。

東軍に寝返ったもの、西軍に最後まで尽くしたもの、両軍の旗色をぎりぎりまで見極め高見の見物を決め込むもの。合戦後の処世に関わってくるためそれぞれが真剣だ。

その他、注目したい脇役が二人いた。一人は安国寺恵瓊だ。坊主でありながら大名を張っているという変り種。しかし、彼の世相を見る眼力の正確さは神懸り的だ。特筆すべき彼の予言がある。信長が思わぬ事変によって倒れる、といったものだ。信長が本能寺で倒れる10年前に予言していた。さらに、木下藤吉郎時代の秀吉を見て、次の天下人は藤吉郎になるであろうとも予言していた。で、もうひとりは島左近。彼は現実的な思考が若干欠落した三成に物足りなさを感じながらも、最後の最後まで西軍のために戦った。他の小説でもそうだが、左近の男振りは読んでいて気持ちがよい。隆慶一郎著「影武者徳川家康」の中での島左近も印象的だった。

読了: 2002年8月