人間の建設/小林秀雄、岡潔

批評家・小林秀雄と、数学者・岡潔の対談集。

学問について語るところから対談が始まり、芸術、酒、科学、数学などについて話題が展開されていく。

学問に対する一般的な興味のあり方が指摘されているが、それは学問の目的が試験勉強のためであったり、学問の権威があまり認められていない事などが原因らしい。本来あるべき姿とは、 少しずつハードルを上げて難しい事に挑戦していくものであると、野球が上達する過程に例えて言及されている。我慢して上達すれば好きにもなるだろうという事だ。

これは、この二人だからこそ言えることだ。そのハードルも、ある程度まで上がるとほぼ横一線に多くの人が並び、そこからさらに高いハードルに挑める人は何かしら特別なものを持っていないとね。

次に両者はピカソを語り、岡氏は自らの絵画についても語る。岡氏は男女関係の醜い一面をたくさん描いたらしいが、ピカソの絵からもそういうものを直感的に感じたらしい。人間の自己中心的な部分は得てして醜悪であり、それが絵に表れるということだ。絵に個性を出すには画家自身の強い個性も必要だが、その個性が自己中心的なものであればやはり良い作品は出来ない。

続いては日本酒の個性だ。

個性がなくなってきているという。土地ごとに飲み分けるのが好きな小林氏にとっては残念な話だと。樽の匂いに苦手意識を持つ人が増えているのが一因とのことだが、檜の「香」が「臭」になってしまうとは何とも寂しい話だ。遠まわしに、「洋酒と瓶が悪い」といっているような気がしなくもない(笑)

その個性が、数学界でも失われつつあるという。

数学の個性というのは、端的に言えば解き方だ。このくだりでは岡氏の数学論が展開されているが、それらの式を言葉に出来ないかと素直に聴いてくる小林氏がいかにも言葉で食っている批評家らしい。岡氏の話で興味深かったのは、数学にも感情が必要だとの事。論理がモノを言う世界だと思っていたのだが、知性が納得しても感情の納得は別物らしい。

このあたりから、アインシュタインとベルクソンのすれ違いについて多くが語られるようになる。ベルクソンは小林氏の著作でよく登場するので、このくだりでの小林氏は特に饒舌な印象がある。

対談の中盤以降はドストエフスキーだったり数学の話に戻ったりと、苦手な話が続いたが、途中で投げ出さずに読み進めていけたのは両者の会話が論理的であったことと、話題が難解ながらもその根底には肩の力を抜いた大局的な概念が感じられたからだ。読中、頻繁に使われた言葉でうっすらと印象に残った「情緒」という言葉に助けられたのかもしれない。ベルクソンもドストエフスキーも、今後私が手を出す事はなさそうだが、それらについて小林氏が書いたものならば今後も読めそうな気がした。

読了:2010年7月