高野長英。鎖国を批判し投獄されたが、約五年後に脱獄に成功。その後の長英の逃亡生活を克明に描いた小説。
オランダ書の和訳に人生をかけた長英の情熱は、獄中でも消えることがなかった。脱獄を決意した長英は、計画的放火に伴い脱獄に成功。極度の緊張感の中での逃亡生活で、長英は心身ともに疲労を極めるが、オランダ兵書を和訳したい、という思いだけが彼を支えていた。
出獄後、弟子たちの協力を経て全国を転々とした。長英は潜伏生活を送りつつも兵書の和訳に没頭し、そこに生きる喜びを見出した。長英死亡説などが浮上し、捜査の目をくらませたかのように思えたが、長英の和訳書が次第に出まわり、奉行所が再び捜査に乗り出した。これほど高度な和訳ができる人間は高野長英をおいて他にはいない、と。
脱獄から2ヶ月後に政局が変わり、長英の先見性が見直されたが、時すでに遅し。牢破りの罪を犯してしまった長英は運命の皮肉を噛み締めた。
逃亡生活の緊張感がリアルに読者に迫り、私自身が逃亡生活をしているような気持ちにさせられた小説である。そして何よりも注目したいのは著者の描く長英像である。若き日の長英は、当代一の蘭学者として高名だったが、その反面で随分と傲慢なところがあったようだ。これは長英が逃亡生活を送る中で、若き日の自分を振り返りそして悔いるくだりである。主人公を英雄として描かず、むしろ一人の人間として描いた著者に、私は並々ならぬ好感を抱いた。
「桜田門外ノ変」を読んで以来、主に幕末ものの小説を中心に著者の作品を読んでいるが、今後さらに吉村昭の小説にハマりそうだ。
読了: 2000年 5月