特別な武功を立てるでもなく徳川時代まで生き抜いた山内一豊。彼にはしかし、戦国の世で命を拾い続けただけの武運があった。その一豊に武運を開かせたのが本書の主人公、一豊の妻・千代だ。
千代が嫁いだ当時、伊右衛門(一豊の通称)は風采の上がらぬ青年だった。そんな伊右衛門を、千代が土佐一国の大名にまで導いてしまうのだ。織田家ではまだまだ身分の低かった藤吉郎(後の秀吉)の才覚を早くから見抜いた千代は伊右衛門を藤吉郎に仕えさせ、秀吉の晩年には家康への鞍替えも示唆した。
千代が直接そう提案したのではない。二人の会話から伊右衛門の思考がそこに辿りつくように仕向けるのだ。千代は良く夫を立て、そんな千代を著者も良く立てている。どんな夫でも、相手が千代ならば気分良く生きて行けるのではないかと思わせるような賢妻振りだが、一方では伊右衛門を見ていて歯がゆい。千代の思念が読者にも伝わるからだ。
全ては夫の出世のためと様々な形で伊右衛門に尽くすが、私は時折そんな千代を疎ましく感じ、「そこまでやってくれるな」、と行間に言葉を挟んだりもした。伊右衛門自身も、そう感じたことはあったであろう。それでも、大半において二人の仲は睦まじい。妻に対してのみではなく、皆の発言に対して素直に耳を傾ける事が出来る伊右衛門の美徳が感じられる。
何事にも周到な千代。そんな彼女につい距離を置いてしまうのだが、そんなイメージが払拭された千代の側面もあった。小袖を縫い上げて行く挿話や、私が思わず声をあげて笑ってしまった以下のくだりだ。
伊右衛門が秀吉に仕えていた当時、豊臣家は正室の北政所派と側室の淀君派に分かれていたのだが、北政所に好意を抱く千代と、淀君派の大蔵卿とが言葉を交わすくだりだ。
「ホホホ・・・鬼婆あ」
そのくだりでの千代の一言だ。
千代と伊右衛門の夫婦物語も良いが、さらに魅力的な夫婦が逸話的に本書に登場する。秀吉と北政所(藤吉郎とねねというべきか)だ。著者は自らの随筆(もしくは対談集)において、北政所に対する好意を語っていたが、その好意が本書における北政所の描き方にも現れている。二人に関する逸話からは 底抜けの明るさが感じられ、本書に描かれる伊右衛門夫婦よりも興味深い。
全4巻から成る長篇小説だが、それを感じさせない読みやすさがある。少しまとまった時間を作ることが出来れば一気に読了できるだろう。
読了: 2005年 7月