菜の花の沖/司馬遼太郎

高田屋嘉兵衛。水呑みとして育ち不遇な少年時代を過ごした。

やがて海運業者になり、命がけの航海を繰り返すことで次第に嘉兵衛の名が知れ渡った。彼の扱う商品にはごまかしがないことから、商人たちからの信頼を得、検査なしでの商品取引を可能にするまでになった。

嘉兵衛の、商品に対する一流へのこだわりの結果であろう。

やがて高田屋の屋号を持つにいたり、巨大な商船を造船し、蝦夷地と本土を行き交う。蝦夷地開発を手がけながらアイヌとの交流を深めるが、そんな嘉兵衛を幕府が放っておかなかった。公の仕事を受け持つことになったが、そんな折南下する帝国ロシア艦隊と遭遇。日露間のトラブル(ゴロヴニン事件)解消のための人質として、ディアナ号に拿捕された。ロシア領・カムチャツカに連れて行かれるが、航海を通して、艦長・リコルドとの友情が芽生えた。後の日露交渉成立は、彼らの友情によるところが多かったようだ。

読了: 2000年 4月

余談だが、吉村昭著「虹の翼」の解説にて、和田宏氏(当時の編集者)によるエピソードが興味深い。実は「菜の花の沖」の執筆開始の際、ほぼ同じタイミングで吉村昭も高田屋嘉兵衛を書くつもりでいたと言う。それを告げられた司馬遼太郎は絶句し、頭を抱えた。さらにその事を吉村昭に告げたところ、「では私は書かないことにします」と諦めてしまったそうだ。吉村昭の描く高田屋嘉兵衛も読んでみたかった。

高田屋嘉兵衛像

写真 写真は北海道函館市の宝来町にある高田屋嘉兵衛像。

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