虹の翼/吉村昭

明治時代に航空機の研究をした二宮忠八が主人公。幼い頃から凧作りと絵の才能に長けた忠八は学業にも秀で、塾では飛び級扱い。 商家に生まれるが、長兄と次兄による放蕩で事業が失敗。家は破産し、忠八は中学に進学せずに呉服店に奉公に出る。

奉公先で子守ばかりの生活に膿んだ忠八は再び凧作りに熱を上げるようになった。写真館の助手や薬種商、測量などの仕事を渡り歩き、ある日の新聞記事で軽気球の存在を知り興奮する。忠八は気球を模した凧をあげ、舞った凧からチラシを蒔くカラクリを研究するが、このあたりは読んでいて実に楽しげだ。

やがて徴兵検査に合格し、陸軍病院の看護卒となるが、忠八の関心はやはり航空の研究から頭が離れない。滑空するカラスの姿勢から両翼に注目し、空を飛ぶ器械により強い関心を抱いていた。

江戸時代にも空を飛ぶ事を夢見た表具師幸吉などが居たが、彼らのほとんどは不審人物扱いだ。忠八も同様、周囲の視線を避けるため時には人目を忍んで研究を重ねる事もあった。

陸軍では薬学に従事する傍ら飛行原理を研究する日々が続く。 両翼は固定でも構わないが、推進力が必要である事、他には車輪やプロペラの必要性に気が付いたりと、忠八の研究内容は徐々に現在の飛行機に近づいていく。

陸軍の上官に提出した上申書が二度も却下されて失望した忠八は、研究費を捻出するために製薬会社に就職した。最下級の給料で一ヶ月間販売部で勤務した後、二ヶ月目には工場建設の事務係、半年後にはようやく平社員並みの給料となり、忠八は一年間で二度の昇給を果たした。更には東京出張所の主任に昇進し、給料は入社時の倍。新たに市場を開拓し、大量の在庫を裁くことに成功するなどして業績を飛躍的に上げた忠八は、関連会社の最高経営責任者になる。

異例の出世を遂げ、資金も十分に得た事で飛行機の完成に対する情熱が再燃する忠八。新聞記事では海外での飛行実験の様子が頻繁に伝えられ、飛行船タイプのものでドイツでの飛行成功や、欧米諸国での研究熱の高まりなどが忠八を駆り立てた。

しかし、ついにアメリカでライト兄弟による飛行が成功したとの記事を読み、忠八は強い敗北感を抱いた。陸軍在籍当時に上申書が却下された事や、製薬会社で忙殺されたことで研究が遅れた事などを悔やむくだりなどは、読者である一日本人としても悔しさを禁じえないシーンだ。

しかしどうだろう、仮に忠八の発明が世に出て世界史に名を残していたと仮定する。飛行機事故による犠牲者を悼んで飛行神社を創建するほどの人物だが、当時の彼が有名になっていたら事故のたびに忠八の傷はより深いものとなり、決して心穏やかに過ごす事はかなわなかったのではないかと思うのだ。このあたりは著者が書いた忠八の思念の一部だが、別の人物が研究・開発を成功させたことが却って忠八にとっての救いだったのかも知れない。

読了:2014年1月