魔群の通過 -天狗党叙事詩-/山田風太郎

幕末にひと騒動起こした水戸藩の天狗党。彼らの挙兵のいきさつは思想の影響だったり御家事情の拗れだったりと複雑だ。そんな天狗党の乱の一部始終が語り口調で進んで行く、文字通りの叙事詩。

語り手は天狗党首領・武田耕雲斎の四男。騒動から約30年後に当時を思い出しながら語っていくという設定だ。騒乱の中心人物というわけではないが、軍の中枢から離れていたというわけでもない。当時の様子を具体的且つ客観的に見るのには程よい位置に居た人物といえる。 続きを読む

江戸開城/海音寺潮五郎

勝海舟と西郷隆盛の交渉によって成立した江戸無血開城。「無血」とはいかにもスマートに事が運んだ印象だが、その目的のために奔走する勝海舟の心痛が伝わる作品だ。

その勝海舟、戦わずに官軍に城を明け渡す恭順降伏策が周囲に理解されない。同僚の幕臣にも、江戸市民にもだ。さらには将軍・慶喜にも煙たがられる始末。朝敵(賊軍)となってしまった状況で少しでも徳川家に有利な条件を用意していたにも関わらず。武家社会の感情として主戦論が主流になる事は当然といえば当然だが、勝は政治家としての自分の判断で動いた。 続きを読む

ふぉん・しいほるとの娘/吉村昭

楠本イネ。その生涯はWikipediaを参照されたい。記録文学で知られる吉村昭の作品となれば尚の事、作品のあらすじとほぼ同様だ。しかしこれは小説。略歴の行間には登場人物たちの血が通う。

タイトルに「シーボルトの娘」とあるが、前半はその母親の存在が際立っている。シーボルトの馴染みの遊女であったらしいが、目を見張るような美人として描かれている。異国人のお抱え遊女である事に対する世間への憚りがある一方、ある程度身分のある男に見初められた安心感を垣間見せる。 続きを読む

チェルノブイリ診療記/菅谷昭

チェルノブイリ原発事故から10年後のベラルーシ。日本の甲状腺外科医が綴った現地での医療活動記録だ。

原発事故の影響で甲状腺に異常が出やすい少年少女が主な診療対象だが、その医療環境が劣悪だ。切れ味の鈍いメス、虫が飛び入ってくるような手術室、「手術の質よりこなした数」という考え方、術式の古さなど、経済の悪化でにわかには改善しがたい現実が著者を悩ませる。 続きを読む

利休にたずねよ/山本兼一

茶道とはかくも奥深いものか。利休の執拗なまでの美への追求は単にお茶の味のみにあらず、茶室内の空間、茶碗の趣、さらには料理にいたる。これらは、わざとらしく工夫を凝らして相手に気付かれるようではあざとくて駄目なのだ。嫌味が無く、あくまで自然に茶を楽しむ空間作りをしなければならない。利休の繊細な審美眼のみが、その空間作りを可能にする。

例えば柄杓ひとつをとっても、茶室に飾る花一輪をとっても、利休はその道具の形状をミリ単で観察し、その選定に命を削っているかのようだ。その情熱の根源は作品を読み進めていく過程で徐々に明らかにされるのでここで詳細には触れないが、一言で言えば若い頃の衝撃的な恋に起因している。 続きを読む