チェルノブイリ診療記/菅谷昭

チェルノブイリ原発事故から10年後のベラルーシ。日本の甲状腺外科医が綴った現地での医療活動記録だ。

原発事故の影響で甲状腺に異常が出やすい少年少女が主な診療対象だが、その医療環境が劣悪だ。切れ味の鈍いメス、虫が飛び入ってくるような手術室、「手術の質よりこなした数」という考え方、術式の古さなど、経済の悪化でにわかには改善しがたい現実が著者を悩ませる。

そのどうにもならない現実だが、著者は少しずつ順応していく。現地の医者たちと意見を交わしたり、患者たちとの交流を重ねたりしながら信頼を得ていく著者の姿が印象的だが、著者をそこまでさせた動機にはある種の羨望を覚えざるを得ない。

恵まれた日本の医療環境にいることに疑問を感じた著者が、自分の専門分野である甲状腺治療で現地に貢献することを次の人生の目標に定める。そう思ってもなかなか実行できないものだと思うのだが、それを実行できる外科医としての腕と志があるのだ。さらには私財をなげうってのことだというのだから恐れ入る。

医療環境の他に、文化のギャップにも触れている。

特に印象深かったのが金曜日の酒の席。彼らはとくかく酒が強い。著者も皆からの誘いを無下には断れないだろうが、日本で一般的にイメージするお酒の付き合いとは随分と酒量が違うようだ。他、トイレ事情、散髪事情、芸術鑑賞など、不慣れながらもそれら生活習慣を享受していく様子は本書の重いテーマを束の間忘れさせてくれる。

話は本題に戻るが、本書で知りたいのはやはり原発事故の影響だ。事故から5年、10年後に激増したといわれる小児甲状腺がん。10代の少年少女たちの首にメスを入れ、思春期の少女に術痕を残さぬように配慮するくだりなどは特に心が痛む。成功例ばかりではなく、十分な治療を受けられない不幸な例も挙げられている。悲しいが、そういう現実もあるということだ。隣国ポーランドの迅速な対応が賞賛されているが、当時のソ連や震災後の日本の対応について大いに考えさせられた。

読了:2012年4月