戦前、戦中、終戦と混乱の時代に出版社に勤めていた著者から見た坂口安吾。無名時代や売れっ子作家時代、さらにはプライベートな部分までが「恋愛」、「青春」、「狂気」、「闘争」、「家庭」の章に分かれて述べられている。
著者の仕事柄、多くの作家と会う機会がありそうなのだが、大衆に知られにくい同人誌に作品を発表していた安吾はまだ無名だった。著者も同僚から聞いて初めて知ったぐらいだ。その後、「堕落論」、「白痴」などを読んで衝撃を受けたが、連載作品の「花妖」は、読者に受け入れられずに未完となってしまった。編集を携わっていた著者は粘り強く再開を促したが、安吾が首を縦に振らなかったようだ。著者も安吾も残念だっただろうが、今となっては私も読んでみたかった。
流行作家となってからは安吾の作風を連想させるような逸話に事欠かない。
関係者と会うのは水曜日のみとし、それ以外はストイックな缶詰生活。水曜日には多くの関係者が押し寄せるが、その賑やかな様子からは彼の作風の片鱗が伺える。著者は他の作家との対応の違いに触れているが、どこまでも人となりなんだろう。出版社を分け隔てをせずに、低俗な男性誌にも出稿していたというエピソードが興味深いが、そういう姿勢からは、自分が権威付けされるのを嫌がっている節が見受けられる。
著者はまた、安吾と三千代夫人との馴れ初めにも触れている。
三千代には既に子供が居たが、夫が戦争から戻った際に別れを告げたという。安吾は意に介す様子も無く、夫人を好いていたようだが、連れ子に対する気持ちが無いから面倒は見ないとキッパリ言ってしまう。式も挙げず、籍も入れずに同棲を始めたが、この三千代に対する思いは安吾の作品に投影されているようだ。
そんな安吾は、戦後の風潮に異を唱える。
戦時中の価値観(愛国心)が手の平を返したように変わった終戦直後。誰もが愛国心を悪だと信じ込んでいた時代だが、安吾や小林秀雄、太宰治は愛国心を恥とはしなかった。そうかといって戦時中に精神論を謳ったわけでもない。時代風潮に流されずに、国を愛する事が当たり前だと心底思えたということだろうか。思想の右左に傾倒するのではなく、ごく自然の感情として持ち続けていたという事に孤高さを感じる。
恋愛についても安吾は多感だ。
著者は安吾の恋愛体験についても書いているが、ひとりの女性との恋愛体験がいくつかの作品を書く原動力になっていたようだ。よほど思った相手だったのだろう。当時の安吾が若く純粋で、それだけに読んでいて痛々しいが、そのくだりはまさに小説を読んでいるかのようだった。
若い頃から文学志望の片鱗が見られ、次第に文学の世界に傾倒して行くが、精神病院に入院したり、退院後に猛烈な執筆活動をするもお金に困ったり、いかにも家庭に不向きな一面を覗かせたりと、その有り余ったエネルギーが巻き起こす波乱万丈ぶりはもはや安吾自身がひとつの作品であるかのようだ。本書がそのような目的であるならば、安吾を楽しむ良き一冊である事は間違いない。
読了:2010年10月