元原発技術者でもあり、ソ連のスパイでもある。それが本書の主人公・島田浩二だ。そんな人物設定だから、《北》もアメリカもソ連も絡み、ある資料を巡って国際的な暗闘が繰り広げられる。
西側の原発技術を東側に流し続けていた島田は、原研を辞めて平凡な人生を送っていたが、彼を諜報員として育て上げた江口彰彦と再会するあたりから物語が動き出す。高塚良という、明らかにソ連が作り上げたと思われるロシア人風の日本人青年が登場したり、何をしでかすのか分からない幼馴染の日野草介が登場するが、著者が描く主要人物に共通して見られる何かが通底していて、「あぁ、高村薫が描く登場人物だなぁ。。。」と安堵する。
島田の動きは各国に監視されていて気が休まるときが無い。そんな緊張感から、読者は彼の一挙手一投足に過敏に反応してしまう。特に、某所でシステムに侵入し、ファイルを盗み出すくだりはハラハラものだ。その資料にも各国が水面下で絡み、時に島田は襲われる。
それでも、中華料理屋でニラレバ炒めと餃子、それにウォッカを楽しむシーンはちょっとした息抜きになり、作中同様、私も「スミルノフ」というウォッカを自宅の冷凍庫で凍らせたりしたものだ。カレイの一夜干しも然り。
ここから、クライマックスに向けたキーマンを一人挙げたい。
前述した高塚良だ。
父をチェルノブイリの原発事故で亡くし、さらに自分は被爆している。事故直後に現場で作業をしていた影響だ。彼は音海原発の建設現場で働きながら、テロ行為の機会を伺っていた。安全といわれていた原発に対する何らかの強い意思だ。その計画を島田と日野が実行するのだが、島田の動機にもある程度は忖度の余地がある。高塚良に対する同情だけではない。技術者から見た多重防備システムだが、それはいくつもの拭いきれない不安要素の裏返しであり、決して100パーセント安全なものではない。それを、自ら証明するつもりだったのかもしれない。もっと言えば、著者は島田を介して読者にそう伝えたかったのだろう。
クライマックスはラスト150ページあたりから始まる原発襲撃のくだりだが、施設内の詳細な描写に驚いた。3.11以降、原発への関心が高まった今でこそ馴染みのある専門用語だが、本書が書かれたのはそのはるか以前。震災直後、本書はにわかに品薄状態となったようで、私もそれに乗じて読んだクチだが、作中の「故障もテロも、事故は事故だ」という島田の思いは特に印象的だ。
読了:2011年5月