李白と杜甫/高島俊男

共に中国・唐代の詩人。この二人の生涯とそれぞれの作品に触れる事が出来る一冊。

それぞれの作風(?)については何となく感じ取るものはあれど、私には詩を読んで何かを感じる感性が乏しいのか、著者の解説があってさえ何かを深く感じ入る事は無かった。それは、読んでいる時の自分の状況とかもあるだろうから、時間を置いていずれ読み返すのもいいかも知れない。

それよりも興味深いのは二人の性格だ。

李白は比較的オープン、もっと言えば派手だ。功名心も強い。
詩人という言葉から連想する隠者のイメージとは程遠い。心の芯が不遇を受け入れる事を心底嫌がっているような印象だ。それは、誰でもそうであろうし、常に何かしらの不都合と向き合いながら生きていくものだとは思うのだが、平たく言えばわがままなのだろう。自分自身に上手に折り合いを付けるような事はしないのだ。そういった器用さを持たないところが詩を書くエネルギーになっていたのかどうかは知らない。

本書を通じて、李白とは何と不便な人物なのだろうと漠然と感じた一方で、ある種の不便さ、葛藤と言い換えてもいいかも知れないが、そういうものが一切無い人生もまた寂しいものだろうとも思えた。

無論、詩人としての評価は後世に伝わってはいるのだが。

一方の杜甫はどうか。

李白の精神は自己の栄達に向かっているが、杜甫の精神は自分の身の回りの人々のみではなく、社会全体に対する愛情に向いていたようだ。お人よしと言ってしまえば軽薄な評価になるだろうが、時としてその無垢な精神が立派であるがために読者には煩わしい。彼のそんな清廉さが自分を苦しめる事もあったであろうが、そういう苦しさが詩を作る原動力の一因になっていたのかも知れないと勘ぐってみた。

この二人が、同時代に生き、さらに直接の交流もあったというのだから、奇跡のめぐり合わせという他は無い。

本書の題材が詩を扱うものなので、今回は感じるままにキーボードを叩いて見たのだが、詩人であれば苦しみぬいた末に搾り出すような言葉で表現していたに違いない。

読了:2007年4月