老人と海/ヘミングウェイ

老いた猟師と大魚との闘い。

約3ヶ月間に渡り不漁が続いていた主人公。彼を手伝ってくれていた近所の少年も、運のない猟師に同船してはいけないと両親に反対され、本人の意思に反して老人から離れていった。そして、ひとり海に出た老人だったが、そこでかつて遭遇したことの無い巨大な魚に遭遇した。3日間に渡る死闘を繰り広げ、老人の体力は限界に達し、意識も朦朧としてきた。打ち消したはずの不安が再び甦る。思考が堂々巡りとなり、ひとり海に向かって大声で叫んでみる。何かに不安を覚えた時、そんな衝動に駆られた経験がある人間は決して少なくないだろう。

その3日間で、老人と大魚の関係は単なる猟師と獲物の関係から、お互いを認め合う崇高なものとなった。そう言えば、似たような描写を以前別の小説で読んだことがあった。隆慶一郎著「見知らぬ海へ」で、主人公が幻の石鯛を釣り上げるくだりだった。

話は戻る。知恵と体力を出し切った両者だったが、最後に軍配が上がったのは老人だった。釣り上げた大魚を船に縛り付け、帰路に就いた。しかし、本書はそのままでは終わらなかった。鮫が襲ってきたのだ。仕留めた大魚は幾度となく食いちぎられ、海に流れ出た血が新たな鮫たちを引き寄せる結果となった。
「いいことってものは長続きしないもんだ」
「魚なんか釣れないほうがよかった」
老人のそんな思いが印象的だった。

本書の解説を兼ねる訳者・福田恆存氏はヘミングウェイらのアメリカ文学を余り好まないらしい。解説を読むとその様子が良く分かる。端的に言えば薄っぺらで通俗的だ、と言っているようにも受け取れる。本に何を求めるかは読者の好みの問題だと思うが、あまりに長々と不満要素を述べられたので、読後の余韻が冷めてしまった。しかし、そんな福田氏がアメリカ文学に興味を抱くきっかけとなったのが本書であるらしい。

読了: 2003年9月