花と火の帝/隆慶一郎

駕輿丁として禁裏勤めをする八瀬村の一族。彼らは八瀬童子と呼ばれ、表向きには天皇の輿をかつぐ役割を担い、裏では天皇方の諜報活動も行っていたというのが本書の設定だ。その八瀬村から5歳の少年・岩介が突然姿を消した。

幼馴染の「とら」と雪山で遊んでいる時に並外れた体術の持ち主に遭遇し、その術を学ぶために八瀬童子の故郷(朝鮮)に渡ったのだ。その体術の持ち主は自らを天狗と称し、「鬼道」といわれる不思議な術を身に付けていた。

鬼道の修行期間はおよそ10年。それまで待てと岩介に言われ、健気に待ち続ける「とら」がいじらしい。約束の期間を1年過ぎたある日、思い出の場所で突然岩介に名前を呼ばれた時の「とら」の弾ける様な心境、そして岩介の劇的な登場シーンが印象的だ。

その岩介、都大路で出会った当時14歳の三宮(後の後水尾天皇)に惚れこんでしまう。三宮を支配する根深い怒りと悲しみを感じ取っての岩介の思念が、意外な事に「素晴らしい」であり、「このお方に賭けた」なのだ。岩介は、幕府の権力に抗い自由を求めようとする後水尾天皇を支えようと影で奔走する。

岩介の仲間には猿飛佐助、霧隠才蔵や朝比奈兵左衛門等、いずれも手練。佐助や才蔵が体術を駆使するシーンが多いのに対し、岩介と兵左衛門は心の作用に働きかける呪術をより多く使う。ただ興味深いのは、敵の徳川方に対して不殺を強いられているというところだ。禁裏は人を殺さないという大前提がある。

この岩介の呪術、心と心を戦わせる「念」の勝負になるのだが、対戦相手の心の闇が浮き彫りになるケースが顕著だ。朝比奈兵左衛門は後に岩介の味方となったが、そうなるまでの過程で兵左衛門の心を解きほぐして行くその内容が読んでいて辛い。朝鮮での修行時代に同僚だった印度人の真人についてもそうだ。技の応酬というよりも、心の応酬、志の応酬と言っていい。彼らの闇が深ければ深いほど、立ち直った時に読者に与える安堵感・喜びが増すのだ。

そして終盤、新たな敵が登場するが、著者の急逝により本書は未完となる。