茶の湯。それは戦国時代を代表する文化のひとつであり、大名たちにとっても是が非でも身につけたい嗜みだった。その茶道の権威が本書の主人公、千利休だ。
境の豪商としても知られた宗易(後の利休)だったが、武家育ちの妻お稲の反応は冷たかった。茶の湯では城主になれぬというのが彼女の言い分だ。武将嫌いの宗易が城盗りを考えるはずもなかっただろうが、武将の妹であるお稲にはそんな宗易が理解出来なかった。しかし、宗易はやがて良き理解者と出会う。後の妻おりきだ。彼女は、お稲が相手では満たされなかった宗易の心に充足感を与えてくれた。
茶の湯で大成した宗易だったが、時の権力者秀吉はそんな宗易を放っては置かなかった。宗易の茶人としての威光を政治に利用したのだ。敵方との交渉に天下の茶人を用いることで穏便に事を運ぶことが秀吉の狙いだったようだ。しかし、秀吉には肝心の茶の湯の精神世界を理解しようとする節が余り見当たらない。黄金の茶室造営などはその最たるものだろう。利休は、そんな秀吉に違和感を覚えながらも、時には真っ直ぐに、また時には己の信念を曲げながらも秀吉の茶頭を務めた。
豊臣政権の中でも特別な地位を得た利休だったが、石田三成を始めとする一党はそれを快く思わなかった。彼らの策略により利休は切腹に追いこまれ、その生涯を終えた。
純粋に茶人として生き切る事が出来なかったところが利休の人生の難しいところだ。図らずも、政治の世界に巻き込まれ、そこでもがき苦しむ姿に人間の業の深さを見た。己の思うところに忠実に生きた弟子や知人たちも登場し、彼らには潔い生き様を見た。しかし、私はそんな彼らよりも、茶頭としての地位にある種の居心地の良さを感じてしまう利休に人間としての親しみを感じた。
読了: 2004年 11月