樅ノ木は残った/山本周五郎

舞台は江戸時代前期の仙台藩。伊達騒動という、一連のお家騒動に関わった宿老の原田甲斐が主人公だ。この騒動の背景には幕府の老中・酒井雅楽頭と仙台藩主一族の伊達兵部との間に交わされた仙台藩六十二万石分与の密約があった、というのが本書の設定。

伊達家に混乱をもたらすための陰謀の手始めとして、藩主・伊達綱宗の強制隠居があった。淫蕩が理由とのことだったが、その廉で綱宗の側近四名が「上意討ち」にあう。この事件で惨殺された彼ら四名の家族のうち、新八や宇乃といった人物が後にこの物語を彩っていく事になる。(決して復讐劇になるわけではないが。)

その新八、護送の途中で脱走するが身を隠したところが悪かった。声をかけてきたのが”おみや”という、ちょっとした女。若年で潔癖な新八を隙あらば手篭(?)にしようと巧みに誘ってくる。その“おみや”の兄が柿崎六郎兵衛という、酒乱だが剣の腕が立つこれまた灰汁の強い人物だ。

もう一人が宇乃。主人公の原田に保護されながら生活を送るが、次第に彼を慕い始める。彼女の気持ちを知った原田だが、受け止めているのかのらりくらりとかわしているのかなかなか掴みどころが無い。そんな原田は家中での態度も同様。藩組織に身を置きながらこれと言った敵を作らないのだ。「朝粥の会」と称して色々な人間を朝食に呼び寄せ交流するくだりが度々見られるが、原田の人格が窺える穏やかな会である一方で、人によっては原田の態度は煮え切らないもどかしい人物に映ったであろうことがうかがえる

作中、原田の思念にもあるが、彼は人間関係が煩わしく、単に人との距離を上手に置こうとしていただけだったのかもしれない。山小屋にこもって「くびじろ」と呼ばれる老獪な鹿を狙い続けるような一面を見せる原田だが、その時が最も自由で人間らしく幸せだったようだ。

そんな原田が家中の複雑な政治問題に踏み入り、仕掛けられた内紛の種を取り除き、六十二万石分与を未然に防ごうと奮闘するのだ。先に述べた藩主逼塞の件の他、藩主毒殺未遂の件、領地問題、席次問題など、読んでいるだけでもうんざりしそうな事柄ばかりだ。これらの諸問題に対して共闘した盟友とも死別し、気がつけば四面楚歌。密約の証書を手に入れた原田がどう仙台藩を護ろうとしたのか。物語の最後の最後まで見せる彼の深慮に感動する。

本書の題材は前述したとおりの伊達騒動。通説では原田甲斐は事件の悪役とされているようだが、本書はその原田を主人公とした小説。通説よりももうちょっと深く事件の背景を描こうとしているように感じられるが、騒動の概要を知らずとも、物語中で描かれる原田の人柄に触れるだけでも一読の価値はあるだろう。

読了:2013年10月