幕末の英雄の一人に数えられるであろう吉田松陰。本書は松陰の母・お滝が杉家(松陰の生家)に嫁ぐくだりから物語が始まる。
その杉家だが、お滝が嫁いだ当初は眼を覆いたくなるばかりの不幸続きで陰気に満ちていた。しかしお滝は、杉家に明るさを取り戻さんと奮闘するのだ。夫・百合之助(松陰の父)もまた、背負った不幸に背を向けずに毎日を勤勉に生き抜いていた。その二人の直向な姿が感動的であり、崇高ささえ覚える。松陰はそんな家庭に生まれた。
彼はやがて秀でた学者として成長して行くが、その背景には学問好きの家風や厳しい教育環境があり、またそれに耐え得る学問的、人間的資質も松陰には備わっていた。全編を通して伝わってくる松陰の誠実な人柄は時として滑稽ですらあるが、常に自分に何かを問いかけ、烈しく自分を磨いていく姿勢は多くの場合において圧倒される。そんな人柄を基盤としてさらに学問が積み上げられて行くのだ。
松陰の思想はしかし、決して理詰めで出来あがった机上の空論ではない。その言動は命懸けの実践によって構築されたロジックに裏打ちされているのだ。例えば密航の企画。行動が飛躍しがちな印象が有る松陰だが、西洋文明を学び外夷に備えるという発想は当時の日本では先進的であり、また考えうる限りでは最も現実的な手段であった。密航に至るまでも、密航に失敗した後も、松陰には絶えず挫折が付きまとっていたが、強靭な精神力でそれらを乗り越え、そのたびに学問、人柄共により高い次元へと成長して行った。
しかしながら、彼の言動は幕府から危険視され獄中生活を余儀なくされた。そこでも松陰は、他の服役囚たちを相手取り、互いに何かを教え合う人間関係を築いて行った。塞ぎ込んでいた囚人たち一人一人に誠実に向き合い、そして心を開かせた松陰だったが、ここに教育者としての力強い第1歩が見受けられよう。出獄後は松下村塾の主催者となったが、そこで育った塾生たちは松陰の思想をそれぞれの個性で受け継ぎ、その中の数人は維新の際に名を挙げた。中でも高杉晋作、桂小五郎などは有名だ。
松陰の人格を構成する要素に保身は微塵も感じられない。彼の言動のすべてが情熱的な憂国精神に基づいたものであるからだ。その情熱が同志に伝播し維新の起爆剤となったことは容易に想像出来るが、その烈しく一途な性格が自ら死期を早める結果をも招いてしまった。しかし、それだけ物事に妥協しなかった男が説いた尊皇攘夷だ。彼以外のどんな人物がそれを掲げようとも、まるで別物になってしまう。
読了:2005年 5月
写真は世田谷区の松陰神社。
松陰神社境内の松下村塾。萩市の複製だが雰囲気はある。
- 留魂録は松陰の遺言集。
- 吉田松陰一日一言は「留魂録」よりも読みやすい。