くろふね/佐々木譲

浦賀奉行の与力として海防を学び、幕末の対米交渉にも携わり、さらには西洋造船も手がけた幕臣・中島三郎助が主人公。

外国船打払冷で出動した際に初めて黒船を間近に見た。それが彼の人生の始まりだったといっていい。海防の仕事で台場に勤め、砲術を会得するが、砲台の貧弱さは歴然。向上心・好奇心の強い三郎助はアメリカ文明の摂取に傾倒した。

ペリー艦隊が浦賀に来航した際には、三郎助は自らの身分を副奉行と偽り、通訳の堀達之助を伴い交渉の座についた。先方の態度からそうせざるを得なかったとはいえ、いい度胸である。同僚には奉行に扮させるあたりも、その必死さは滑稽でさえある。

一連の交渉に携わった三郎助は黒船乗船の機会を何度か得たが、戦艦内部を執拗に観察し、相手が辟易するほど質問攻めにした。念願の蒸気機関も見ることが出来て大興奮するくだりを読むと、そのみずみずしい感覚がうらやましくも感じた。

台場の砲台では海防は無理と判断し、洋式軍艦の建造に着手。御船製造係となってからは洋式軍艦の建造に着手した。帆船だが、洋式船「鳳凰丸」を完成させた。そんな折、造船の知識や西洋事情に明るい三郎助に、長州の桂小五郎が弟子入りを志願してきた。師である吉田寅次郎(のちの松陰)に薦められたのだという。

本書の主人公とはいえ、中島三郎助とはそんなに大物だったのかとこのくだりを読んで首をひねってしまったが、それは有名人の事しか知ろうとしないミーハーな読者の軽薄な反応であったのだと読み進めていくうちに自戒した。

やがて長崎海軍伝習所に伝修生として派遣された三郎助は造船、航海、軍学などを貪欲に学んでいく。この年35歳だったというから、新たに蘭語が必須となる環境を考えると決して若くはないが、それでも飛び込んでいく溌剌とした精神には溜息が出る。

艦長候補生には勝麟太郎(のちの海舟)も居た。海軍の重要性を説き、自らも志はあったようだが、蘭語以外の実技はほぼ挫折。講義にも顔を出さなくなり成績不良で二度の留年から中退。乗組員として選抜される事はなかった。海軍で働く人間が主人公の小説で勝海舟はきわめて分が悪い。処世は上手いが乗組員としての能力が皆無だったからだ。作中、三郎助ら主だった乗組員とは終始ソリが合わなかった。

ともあれ、本書の主人公は中島三郎助。伝習所で彼の御眼鏡に適ったのは火夫要因として伝習を受けていた榎本釜次郎(のちの武揚)。彼については著者の作品「武揚伝」のイメージとほぼ変わらぬ好青年として描かれている。

三郎助は一通り履修したうえで留年を決意した。新型のスクリュー船について学ぶためだ。勝の留年とは意味が違う。

卒業後、築地軍艦操練所の教授方となり、やがては徳川海軍の乗組員として開陽丸に乗船。劇的な政変を経るが、最後は蝦夷地での新国家建国を夢見て五稜郭で散る。

なるほど「武揚伝」の作者だな、と思った。時代も登場人物も重複しているから当然かもしれないが、いずれも主人公から感じる爽やかさが良い。主人公に嫌味がなく奢りもない。自分の好奇心だったり向上心にブレがないからだろうか。当時の人材は、むしろ幕府側の方が充実していたのではないかと再考してみた。

読了:2010年5月

北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑

写真 写真は横須賀市ペリー公園の北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑。

泰平のねむりをさますじょうきせん

写真 泰平の ねむりをさます じょうきせん
たった四はいで 夜も寝られず

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