義経/司馬遼太郎

戦に長けた源義経と政治感覚に長けた源頼朝。この二人の対比が鮮やかな作品だ。まるでタイプの違う二人だが、共に生まれた時代は平家の全盛。肩身の狭い思いで若年期を送っていたが、やがて二人は歴史の表舞台に登場する。

従来の戦の常識を覆し、重要な局面で勝利を得続けた義経。平家を滅ぼし亡父の敵討ちに命を賭ける。義経の原動力にはそれが先立っていた。そしてもうひとつ。頼朝に勝利を喜んでもらうことだった。

その気持ちに偽りは無いようだったが、義経には勝利を伝える工夫が欠けていた。非合法ながらも鎌倉に政権を打ち建てた頼朝は仮にも一組織の長だ。義経は、頼朝やその取り巻きに対する配慮を欠き、戦勝で得た人気に無神経に浸った。自分の勝利が頼朝の喜び。そう信じて疑わない義経は、世故に長けた読者から見ると失笑物ですらあるだろう。事実、義経が勝利を挙げる度に頼朝が警戒心を強めて行ったことを義経は知ろうとしなかった。頼朝にとって、義経が自分以上の存在になってしまっては困るのだ。

この二人の思惑のギャップが、お互いを追い詰めた。頼朝は義経討伐を決意し、義経は平泉に追われ最後を迎えた。それでも義経は、自分が追われた理由がわからなかったのではないだろうか。著者による義経像はそれほどまでに社会的に幼い。

本書では義経の処世の甘さが強調されているように感じられたが、一ノ谷、屋島、壇ノ浦などで見せる彼の活躍は疑いも無く英雄そのものだ。天才とは、常人には想像しがたい能力と、ある能力の徹底的な欠落が同居するものなのかもしれない。

読了: 2004年8月