モオツァルト・無常という事/小林秀雄

モーツァルトがいかに天才的な音楽家であったか。ゲーテ、トルストイ、スタンダール、シェイクスピア等、種類の違う様々な芸術家たちを登場させながらモーツァルトが論じられている。

当然ながら著者自身が傾倒していた時期があったようだが、モーツァルトの曲から感じ取るものが常人とは違う。その世界で生きている人間や趣味が高じている人、あるいはもともとその手のセンスがある人ならまだしも、私には単なる心地よい「音」でしかない。その根底に「かなしさ」(tristesse、もしくはtristesse allante)を見出せるのは単に耳の問題だけではなさそうだ。

審美眼に欠ける自分を自覚しながら、そんな世界があるものかと感嘆しながら読んでいた。別な言い方をすれば、そんな世界に少しでも触れてみたくて読み進めて行くわけだが。

と、表題の感想を述べてみた。他には西行や実朝等の歌人、「平家物語」や「徒然草」などの文学作品、鉄斎や雪舟等の画家、光悦や宗達など、芸術家に関する章が目立つ。前述したモーツァルト同様、芸術に対する感受性を自分がもっと持ち合わせていれば本書の意味合いもより有益なものになっていた事だろう。結局は、自分なりのモノでしか理解が出来ないという事だ。芸術に限らず、人の話を聞いてもそう、本を読んでもそうだ。時に背伸びは必要だが、今の自分と正直に向かい合う事も必要なのだと、本書の意向とは遠くはなれたところで持論に落ち着いてしまった。

そんな拙い一読者だが、最終章の「真贋」で展開されるニセ物についての話は若干肩の力を抜いて微笑ましく読むことが出来たのが救いだった。

読了:2012年4月